月別アーカイブ: 2010年2月

DVD-R 出演:友田真希、監督:ヴァンサン・ギルベール「影の光」

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DVD-R 出演:友田真希  監督:ヴァンサン・ギルベール「影の光」¥1575

 ネット上で知った日本のAV女優に魅せられ、来日し、AVメーカーで働きはじめたフランス人映像作家ヴァンサン・ギルベールが、その憧れの女優・友田真希にインタビューしたドキュメンタリー映像。

 なぜAV女優になったのか? AV女優の仕事とは? それらの疑問をAV監督TOHJIROを通して質問し、女優の内面をあらわにしてゆく…。

  現在、日本で映像作家として活動しているヴァンサン・ギルベールが、来日して、あまり時を経ず手がけたドキュメンタリーということもあり、質問をぶつけ、女優が答えるというガチな取材映像から、未知の世界の扉を開けた監督の冷静さと情熱とが伝わってきます…。

2006年 47分 スタンダード カラー 日本語 ステレオ PAL

 

kegenohikari

ステファン・ブランケ サイン会

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 20年のキャリアを持つフランスのアーティスト、ステファン・ブランケが個展開催のため初来日します。タコシェでは、春川ナミオ、市場大介、ジル・ベルケといったアーティストたちのキングサイズの画集の編集・発行人といえば、思い当たる方々もいらっしゃるかと思います。そのステファン・ブランケが来日中の4月10日にタコシェにサイン会をしに来てくれることになりました。

2010年4月10日(土)15:00〜16:00 タコシェにて

 これにあわせて、著作もご用意し、紹介してゆきます。キモかわとヘタウマが微妙な配分で混じったイラスト本や、叙情性漂う影絵絵本、女性の体をキャバスにした女体影絵写真集などなど、スタイルも様々です。この機会にどうぞご覧ください。

【ステファン・ブランケ来日スケジュール】

3月30日(火)〜4月18日(土)「ブランケが東京を覆い尽くす日の始まり–第一章」@スパンアートギャラリー

4月2日(金)ショートフィルム上映会+講演会 @日仏学院

 

展覧会オフィシャルサイト

展覧会オフィシャルブログ

 上記のイラストを3D仕様で印刷して表紙にした、日仏学院が発行する情報誌Encoreをタコシェにも用意しています。専用のメガネでステファン・ブランケの作品を立体的にお楽しみいただけるとともに、展示や上演に関する記事もありますので、どうぞご覧ください!

DVD 山本眸古監督「小梅姐さん」

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DVD 山本眸古監督「小梅姐さん」¥4725

「炭坑節」「黒田節」「おてもやん」などを全国に広めた福岡県川崎町出身の民謡歌手・赤坂小梅(1906~92)の足跡をたどった記録映画「小梅姐さん」は、その生誕100年を記念して地元北九州の有志によって制作され、数年前に東京でもポレポレ東中野で公開されました。そのDVDが発売となりました。

 もともと芸好きがこうじて、小倉で芸者をしていた小梅姐さんは、その美声を見いだされ1929年に民謡歌手としてデビュー。民謡を広めるとともに、戦後の民謡ブームをリードした一人。映画本編のほか、小倉での芸者時代を知る人物の証言映像や予告編などを収録。歌った民謡リストを掲載した小冊子つき。78min

【小梅姐さん、こと赤坂小梅さんプロフィール】

本名、向山(むかやま)コウメ。

明治39(1906)年4月20日、福岡県田川郡川崎町に、父向山権平、母(旧姓井手口)シナの9人兄姉(三男六女)の末っ子として誕生。40歳という高齢出産の影響もあってか、産後の肥立ちが悪かった母が10月に死去。すぐ上の兄秀吉と共に長姉とせの養女となる。なお、再婚同士であった両親の、この長姉とせは父権平の連れ子であり、長男の松治はシナの連れ子である。

16歳の時に自ら芸者を志し八幡市(現北九州市八幡東区)の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなすという猛勉強で、1年で芸者デビュー、「梅若」を名乗る。稲本の小倉市(現北九州市小倉北区)移転に伴い、同市旭町の検番「旭検」に所属。小倉に梅若あり、と歌のうまさを喧伝される存在に。
昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のために小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められレコードデビュー。
同6年に上京して赤坂に移り、藤井清水の命名で赤坂小梅と名乗る。
同8年、コロムビアから出した『ほんとにそうなら』(久保田宵二作詞、古賀政男作曲)がヒット。
以来、流行歌、端唄、舞踊小唄、そして上記紹介の3曲のほか『そろばん踊り』『小諸馬子唄』など、多くの民謡を吹き込みヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。また酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった。

 昭和56(1981)年4月、75歳で「感謝引退記念公演」(国立小劇場)。その惜しむ声は芸能界はもとより、政財界、文化人など各界から400人を超す発起人を集め、その存在感をあらためて示すこととなった。
 晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日午後7時24分、心不全で千葉県鴨川市の病院で死去。葬儀・告別式は、終の棲家ともなった館山市の安房自然村内不老山能忍寺で執り行われた。戒名「芸鏡院梅月麗峰大姉」。紫綬褒章、勲四等宝冠賞、第10回日本演歌大賞特別功労賞受賞。享年85。

レコード寄席覚え書き「冬」

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レコード寄席覚え書き「冬」¥1260

 高円寺の音楽空間円盤店主・田口史人氏による流行歌とは一線を画すれコードを紹介するトークイベント“レコード寄席”。そのための覚え書きとして自ら手作業で作る冊子「レコード寄席覚え書き」の四季も一巡して、ついに最終巻の「冬」に。

 冒頭、パソコンで音楽を作ったり聴ける今日、まったく便利になったと感慨にふけりつつも、音楽は本来趣味のもので、必ずしも便利である必要はない、と立ち止まる席亭。
 ピラピラなソノシートやチラシ状のフォノカード、対照的に無闇に豪華なピクチャーディスク、あるいはいちいちジャケを添付したシングル盤の濫発と、他国に類を見ない、無駄なくらい徹底したエネルギーを注いだ日本は特殊なレコード文化を有していたと断言しながら、何ゆえにそうなったかは今もって謎、と言う田口氏。ただ、確この時代、レコードがみんなに愛されていた、のは確か、と。
 そんなわけで、この号ではレコードに刻まれた人々の人生にまで思いを馳せています。歌い手、演奏者や制作者はもちろん、彼らをインスパイアした人物や時代、市町村、あるいはジャケをカスタマイズせずにいられなかった人、そして自分の名前までクレジットしてしまった人、メモ書きや贈る言葉を書き添えた人々、そんな痕跡から、幾多の人生地図、レコードを取り巻く世界の果てまで旅します!
A5判60P CD-Rつき