日別アーカイブ: 2010 年 2 月 19 日

DVD 山本眸古監督「小梅姐さん」

koumeneesan

DVD 山本眸古監督「小梅姐さん」¥4725

「炭坑節」「黒田節」「おてもやん」などを全国に広めた福岡県川崎町出身の民謡歌手・赤坂小梅(1906~92)の足跡をたどった記録映画「小梅姐さん」は、その生誕100年を記念して地元北九州の有志によって制作され、数年前に東京でもポレポレ東中野で公開されました。そのDVDが発売となりました。

 もともと芸好きがこうじて、小倉で芸者をしていた小梅姐さんは、その美声を見いだされ1929年に民謡歌手としてデビュー。民謡を広めるとともに、戦後の民謡ブームをリードした一人。映画本編のほか、小倉での芸者時代を知る人物の証言映像や予告編などを収録。歌った民謡リストを掲載した小冊子つき。78min

【小梅姐さん、こと赤坂小梅さんプロフィール】

本名、向山(むかやま)コウメ。

明治39(1906)年4月20日、福岡県田川郡川崎町に、父向山権平、母(旧姓井手口)シナの9人兄姉(三男六女)の末っ子として誕生。40歳という高齢出産の影響もあってか、産後の肥立ちが悪かった母が10月に死去。すぐ上の兄秀吉と共に長姉とせの養女となる。なお、再婚同士であった両親の、この長姉とせは父権平の連れ子であり、長男の松治はシナの連れ子である。

16歳の時に自ら芸者を志し八幡市(現北九州市八幡東区)の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなすという猛勉強で、1年で芸者デビュー、「梅若」を名乗る。稲本の小倉市(現北九州市小倉北区)移転に伴い、同市旭町の検番「旭検」に所属。小倉に梅若あり、と歌のうまさを喧伝される存在に。
昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のために小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められレコードデビュー。
同6年に上京して赤坂に移り、藤井清水の命名で赤坂小梅と名乗る。
同8年、コロムビアから出した『ほんとにそうなら』(久保田宵二作詞、古賀政男作曲)がヒット。
以来、流行歌、端唄、舞踊小唄、そして上記紹介の3曲のほか『そろばん踊り』『小諸馬子唄』など、多くの民謡を吹き込みヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。また酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった。

 昭和56(1981)年4月、75歳で「感謝引退記念公演」(国立小劇場)。その惜しむ声は芸能界はもとより、政財界、文化人など各界から400人を超す発起人を集め、その存在感をあらためて示すこととなった。
 晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日午後7時24分、心不全で千葉県鴨川市の病院で死去。葬儀・告別式は、終の棲家ともなった館山市の安房自然村内不老山能忍寺で執り行われた。戒名「芸鏡院梅月麗峰大姉」。紫綬褒章、勲四等宝冠賞、第10回日本演歌大賞特別功労賞受賞。享年85。