誰にでもある失敗写真を単なる失敗で終らせずに、そこから何かを読み取る—そんな発想をする人は決して少なくないのかもしれません。
たとえば、Thomas Leluは「Le manuel de la photo ratée」(2007年 )で、実例をあげながら失敗の種類を、トリミングの間違い、無意味なテーマ、物悲しい表情…etc. というように分析、分類してゆきます。楽しかったパーティの1シーンも、後で写真を見たら、照明の関係もあってか、どこかうら悲しさ漂う、はめを外した姿だったりして…。タイトル通り、失敗の方法のマニュアルとなっています。
そして天久聖一は、2004年から2008年にわたり「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載した「天久聖一の味写入門」で、「知らないあいだにへんなものが写ってた!」「なぜ撮ったのかまったく意図がわからない……」といった神様のイタズラとしか思えない写真を、視点を変えて鑑賞しています。宴会場で踊る人物の手前、無表情でカラオケマイクを握る人物を宴会レポーターに見立てたり、被写体の向こうにたまたま写り込んだ人の人生に思いを馳せたり。デジカメ以前、フィルムの時代だからありえた、現像されるなり、お蔵入りしていた写真から、意図せぬドラマや人生を読みとり新たな命を与えいます。こちらは、どちらかというと味わい方にポイントを置いた、鑑賞ガイド。巻末にはかせきさいだぁ三との対談も収録しています。
178×130 128P