- Diary Jan.2002 トップへ
- by Ayumi NAKAYAMA
- ●02.01.30
- 93年にタコシェがはじまって今年で8年目! 始めた頃は携帯電話など持っている人も少なく(マスコミ関係の人だってポケベルしか持ってなかった)が、今ではコンピュータも個人レベルに普及して、納品されるものも自然と様がわりしてきている。たとえば、最近、ビデオより DVDをお求めになるお客様が増えてきているし、インディーズの音といえばカセットテープと相場が決まっていたし今もカセットでの納品はけっこうあるのだが、ミニコンポなどカセットテープよりもMDつきの方が巾をきかせているとあってだんだんにカセットテープを聴く環境が減ってきているような気がする。だからといってMDの納品は無く、商品としてはCD-Rが多い。そのCD-Rも今やプリンタで直接盤面に印字もできるから、器用に作れば商業ベースのものとの違いがせばまってきている。ミニコミもコピー誌などが減ってきているし。なんか、楽しいなぁ、どんどん変わってきて。店の様子もちょとずつ変わってくるわけです。
- ●02.01.29
- 秋に、関西に行ったとき、宝塚の出向いた先で、ガンジー石原さんに合い、大阪方面に一緒に戻った。その電車の中で、ガンジーさんの黒い服に細い一筋の白い短い毛がついていて、そういえばガンジーさんは白いかわいい猫を飼っていると何かに書いていたのを思いだし、猫の話を向けるた。ガンジーさんの猫は雑種ながら洋モノの血が入っているらしく非常に美しいらしいのだが、聞けばその猫は夏に弱いという。ガンジーさんは、かかりつけの獣医に行っても待合い室にはりだされている患者?の中での長寿番付を見ても、圧倒的に雑種が多いのは、雑種の連中の絶対数が多いこともあるが、洋モノは日本の風土へ適応するのがたいへんなせいではないか?などという説を述べ、我が猫が高温多湿の日本の夏にに食が細くなってしまうことに心を痛めていた。というわけで、夏場は栄養がよく食のすすむ餌を与える工夫をしているそうで(1年中やるにはお金がかかるので、涼しくなってきたらだましだまし元の餌にかえてゆくそうである)、「食事療法でやるしかない」と言うのであった。猫に食事療法! 私にも猫(雑種・メス)がいるが、猫の食事をこれほど積極的に考えたことはなかった。確かに、離乳をするときは、市販の餌のよしあしが分からず、自分でペットフードを食べてみたりしたが…。ただ「うまくない」というのが感想であった。私は自分の味覚で判断してシーチキンに近いかんじのものをよしとして与えていたが、その猫も17歳を越え、最近、めっきり老けてきた。よくわからぬ失禁などもして、ボケか?と思ったが、念のために医者に診てもらうと、ボケでなく腎機能が低下していることがわかった。そのとき私の頭に思い浮かんだのはガンジーさんのいう食事療法であった。猫のくせに食事療法…。魚の切り落としなどを与え、医者の薬を続けること数ヶ月。人間でいえば80代後半の猫が食事療法の効果か若返ってきている。動きもよくなり毛にも少しつやが出てきている。食事療法がすごいのか、猫がすごいのかはわからないが…。何でもやってみるものである。
- ●02.01.28
- 1月25日はながらく発売が待たれていた根本敬さんの「電気菩薩」が届き、ちょうど店頭に出したところに、根本さん一行がいらして、サインを入れていただいたりした。この本は根本さんのライフワークとでもいうべき因果者たちを紹介しているのだが、この中で、川西杏さんという南北統合や在日問題に強い意識を持ちつつ歌手活動を行う不動産屋さんが登場し、その特異さが説明されているように(とにかく読んでみてれ)、根本さんはこの方をとにかく大プッシュしておられ、川西さんをまじえてのイベントはいかがかと提案された。これは私たちの器の大きさや懐の深さが問われるイベントになるのでは…とちょっと緊張した。店員はめいめい「電気菩薩」を購入。心の準備に入ったか…。今からドキドキ。
- ●02.01.25
- 昨日は振込の作業に追われながらも夕方から亜土ちゃんのパーティに。外苑前で亜土ちゃんは画集発売記念の個展をしていて、24日には関係者を中心にしたパフォーマンスつきパーティがあり出かけたのである。会場はすごい密度だったが、知っている顔もなく、みんなは名刺交換などをしている。ガラスばりの入口を使ってのパフォーマンスまで時間がありそうだったので、会場を出て脇の雑貨屋などで時間をつぶしていたらなんとなく向こうが賑やいできたので戻ってみるとパフォーマンスがはじまっていた。中で歌を歌いながらマジックやスプレーで自在に絵を描く亜土ちゃん。ドアの取っ手をはさんで立つ形で人物を描く。途中、両手で描いたりしてエンターテナーぶりを発揮。しかし、遅れてしまった私は中に入れずに、外から、それもそとの観客の最後列から背伸びをして様子を見るばかりで、亜土ちゃんの歌声を全く聞こえない。楽しいけど寒い。頭の中では吹雪の中、子供や年寄りなどを中心に若い雄が外縁になり円陣を組んで防寒する日本猿たちの姿が思い浮かぶ。私は雄猿ではないのに。パフォーマンスが終わり中に入り、亜土ちゃんに花束を渡すと、冷えた手に亜土ちゃんが驚き、手をこすってくれたり自分の頬に手をあててくれたり、いつもサービス精神いっぱいだ。もちろん、ほかの人に対しても同様に亜土ちゃんは優しい。写真と撮るときでも、「1+1は?」という声に続いての「5−3は?」には「??」と答えがわからないといったおとぼけ顔をしてみたり…。
- その後、会場はサイン会にかわったが、人々が押し寄せ、私は店員の濱岡にサインをもらってきてほしいと言われていたので、列に加わった。いつもは、サイン会をする会場の立場なので、並ぶ立場は久々なのだが、このただ並ぶというのが案外退屈である、ということを再確認した。確かに吉田健一などは、食べ物でも並ぶことによって(といってもグルメブームの行列とちがって戦後の食事の不自由な時代のことだと思うが)、キリストを待つ民のように心の準備ができていよいよありついた料理をうまくするというようなことを書いていて、さんざん並んだくせに並び時間が足りずにうまさが不完全だった、くらいのことを言っているが、私はそういう域にはなかなか到達しない。店でも並び対策を何か考えよう。
- ●02.01.23
- 朝一で髪を切ってから、店に出てミィーティング(といってもお茶を飲みながら連絡をしあったり、一人だけでは考えがまとまらないことを話し合うだけである)。その後、いよいよホームページで検索ができるように、いくつかの検索画面をもつWEBを手掛けている先達でこのホームページのサーバーを管理しているポット出版へ行き、いくつかの具体的なものを見せてもらう。大体、どういうソフトを使ってどういう考え方で作ればいいかは理解できたが、作業的に細かくて面倒そう…。「なに、1年くらいでできますよ」と励まされたが、私はチャチャッと作りたいなぁと思っていたので、遠大な計画のような気もした。しかし、たぶん1年かかると、ここで鵜呑みにするからいけないのである。あのスケートのゴールドメダリスト清水選手も「記録(タイムのこと)は頭で作る」と語り、35秒という壁を越すのは人間わざでないという自己暗示が記録更新を妨げるので、頭の中のこの壁をまず壊すのだと言っていたではないか。私も1年の壁をどけて精進すれば…、3年くらいかかったりして。
- ●02.01.22
- 歯医者に行き、割れた歯に先週とった型のかぶせものをつけて、やっと歯が元に戻る。考えてみれば、歯が丈夫でないせいで、大学時代に学校の近くであるという理由で通いはじめた、この歯科医院にコンスタントに通っている。なかなか縁がきれないものである。しかし、今日、歯ができた余裕もあって、駅の行き帰りの店などを見ると10年以上経って、当時よく行っていた喫茶店がみななくなりすっかり様変わりしているのに気づいた。当時、地下鉄の入口付近、おいしい白玉を出す甘味どころがあった。かつて私は、そこに入って、鞄やコートを置くのにもってこいのスペースをみつけて一式をそこに置いて座って、注文をとりにくるのを待っていたら、やってきたおばさんに「あなた、そこは床の間で荷物置き場じゃないのよ。はやくどかしなさい」としかられた。自宅にも床の間はあったのだが、あまり行儀のよい家でなかったせいか、自宅のそれは床柱にうまいこと仕切られていたから私にとって逆立ち用のスペースになっていて、他人に怒られてはじめて床の間が大事なものであることを知らされた。しかし、このお店も姿を消して、チェーン店のカフェができていた。おいしい白玉も注意するおばさんもどこかへ行ってしまった…なんて思う反面、白玉を食べていた私たちが、そろそろうるさいおばさん化しているような気がしないでもない。白玉は消えても、うるさいおばさんは次々に出てくるのだ。
- ●02.01.21
いよいよ今年こそはタコシェの全商品を検索できる商品リストを作ろうと思っている。ただし、問題は、ホームページ上の検索画面で検索は可能にできても、一般の検索エンジンにうまくひっかかるようにする対策を考えなくてはならなくて、そちらの方がずっとうまく機能させるには手のこんだ作業が必要になるのである。といっても、最初から完璧を求めてなかなか形にならないようでは何もしないのと変らないので、とにかく検索できるようにする! というわけで今週から、ほかのホームページ制作者のもとに見学に行ったりして勉強を開始する。
それと店とは全然関係ないけれど、歴史小説にはまりかけている。髷もの、である。これまで、どういうわけが全く手を出さないジャンルで、あるいは手を出したりすると、山岡荘八の「徳川家康」をはじめとして髷ものは超大作が多そうなので意識せずに避けていたが、ついに…。これも中年化のはじまりであろうか…。
- ●02.01.18
- 問屋で本を見ていたら時間が驚くほどすぎていた。
- 今日はかつてパルコ木下さんの教え子で出版関係に就職したU君が自分が企画編集した文庫本「滝田ゆう名作劇場」(講談社漫画文庫)の営業でひょっこり店にやって来た。学校にいた頃はパルコさんの指導で印刷機を使ったミニコミを作って納品したりしてくれていたU君だったが、見本誌を持って、これまでとは毛色の変わった企画なので軌道に乗せるために足で営業も、ということでわざわざ来てくれたという。20代前半で滝田ゆうというセレクトも渋いが、23本の現代小説を滝田ゆうが漫画化したという本なので、原作の作家やそのご家族にコンタクトを取り1年がかりで形にできたとのことで、実は就職する前から実現したい企画だったそう。手書きミニコミを作っていた人がすごく成長してお店を訪ねてくれたと思うと嬉しい。そのうちタコシェにも入荷します。ちょっと渋い本だけど、そんなわけでオールドファンはもちろん、10代20代の方も手にとってみてください。
- もうひとつは、ミニコミPALO ALTOというのが持ち込まれたのだが、これはJUNE BRIDES特集ということで、フィル・ウィルソンにインタビューをしているのだが、これもメールを使って海外の取材を試みたそうで、新しいツールを使ってこれまでにない広がりをフリペやミニコミで実現させている若い人を見るとやはり嬉しい。
- さらに、懸案だった、太田蛍一さんのグッズ作りもお手伝いしてくださる方がいよいよ動けそうになったようで楽しみだ。
- ●02.01.17
- 店をやっているとたまに、不可思議な電話がかかってくることがある。最近も、犯罪的な被害にあっていると訴える方から電話を受けた。
- それで思い出したのだが…。かつて西早稲田に店があった頃、そこはメインストリートからちょっと入りこんだエリアなのだが、道路拡張工事が決まったところで周囲はすでに立ち退いた家も多く、人気の少ない、客商売にはおよそ不向きな場所であった。ただし、建物のあけわたしまでの短期間の借用という条件つきだったので家賃が格安であったためその地に店を構えたという事情もあった。
- ある日、ひとり寂しく店番をしていると、汗だくの男が入ってきて、「金をかしてほしい」という。きけば、男は仕事もなく家族に養われているのだが、そんな事情ゆえに家族も冷たく小遣いもわずかしかもらえず、その日も取手から出てきたのだが、早稲田界隈のお祭りの屋台などで金を使って気がつけば家に戻れないから金を貸してほしいのだという。ちょっと怖かったが「うーん、困っているのはわかるので貸してあげたい気持ちもあるけれど、ここにあるのは店のお金で私のお金じゃないので貸せないんです」と言い「警察に行って借りたらどうですか」と話たのだが、「警察には行けない」と言う。何かヘンなツボをおしてしまった予感…。警察に行けない事情は、かつて少女に猥褻行為を働き警察にお世話になったことがあるためで、現に今もバイブを持っているからまずい…というではないか。(なに、今も持っているぅ?)男の大量の汗とバイブにちょっと困ったが、お金も大事だし自分も大事だし、とにかく食い止めて帰ってもらわねばと思い、「バイブを持っていて何が悪い、構わずに警察に行くべきだ」的なことを力説。大丈夫!と励まして帰ってもらった。その間、お客様も通行人もなし! さびしく心細い。
- 一息ついて、やれやれという気持ちでいるところに、たまたま松沢から電話がかかってきたので事の経緯を話すと「そんな無理なこと言って追い返して、警察で門前払いでもされてみなよ、怒って戻ってくるかもしれないじゃん!」「え?」「危ないじゃん」「え?そんなに危ない?」「そこにいちゃ危ないよ」「え、そうなの。そうしたら、電話だってしてられないじゃん、閉店までに時間あるけどさ、私、早じまいして、帰るよ」「おお、そうした方がいい」というわけで、営業時間中であったが驚くほどのスピードで私はシャッターを下ろし戸締まりして店を後にしたのであった。
- ●02.01.16
- 100円ショップでケースをたくさん買って、在庫の整理。「汚いと風水的にも悪いと思うのよ…」よくわからない理屈を店員たちに語る。そのうちコパの干支の置物でも飾るのではないかと心配されているかもしれない。私は整頓は苦手だが、本当は店をキレイにしたい、したいけれどもなかなかそうできない、だからこそ、店員に手伝ってほしい。ああ、気持ちいい、というような店にしてみたい。自分が不得意なことを人に押しつけるのはどうかとかテメエを棚にあげてという遠慮の気持ちもあるにはあるが、そんなことを言っていては店は片づかない。これからは自分のことは棚にあげて言う。言うのだ。
- ●02.01.15
- 昨日の日記ではJUICY FRUITSの展覧会に何をしに行ったのか…という内容であったが、私なりに、別に考えたこともあったのだ。展示自体はバックナンバーを壁に並べて一覧させる壮観さであったが、手書き文字でぎっしり情報を詰め込んだフリーペーパー100号分というヘヴィさを考慮して、記事の文字部分を消し、イラストとレイアウトを見せる工夫があって、これまで発売のたびに全部読破してきた私にも新鮮にうつった。しかし、それよりも新しさを感じたのは、そのセルフプロデュースの感覚である。展覧会のDMには、「イワユル「女の子新聞」と一括りにできない絶妙な辛さ&(字の汚さ)。各誌にも取り上げられた手書き新聞、「juicy
fruits」が約1年で100号を迎えました。〜中略〜ミニコミ実践派の軌跡をごらんあれ」といった挨拶文が出ていた。こうも軽やかに自身の媒体を語るか、といった文体。もちろん、自己演出とか売り込みならば前々からあったけど、それは上司やプロデューサー的な人物にアプローチするなどの根回しなども含む総合的戦略なのだが、そうではなくて、自らをプロデュースする語彙を持つというところに軽やかさが見えるのである。これは、JUICY
FRUITSだけでなく20才前後の表現をしようとしている人たちに感じることで、「こんにちは○○の最終兵器、××です」みたいなキャッチをさらっと書いてきたりする。
- 80年代、バブルの頃は、世の中に余裕があったせいかギャラのいい企業誌の仕事などもたくさんあって媒体に事かかなかったせいか、表現をしたい人はライター、イラストレーターになんとなくになれて食べていけたし、バイトだけでも結構な収入もあったけど(私もそんな時代の恩恵に多少はあずかっていたのだが)、90年代になり何やらそんな雰囲気でなくなってきたとき、疑いなく遊びほうける女子高生や女子大生がいなくなり、自分さがしなるものが始まったように思う。演劇のワークショップには何かを見つけたい女の子たちがいたし、バクシーシ山下ではないけれど「私も女優にしてください」という、プロデュースされたい子たちが溢れてきたのではないだろうか。そんな夢を叶えた一部の女の子がモー娘。だったりもして。
- それを思うと、最近のこのセルフプロデュースの感覚って、90年代的なものからも一歩進んだD新しい在り方かな?という気がする。ひょっとしてこういう女の子たちがもっと出てくるのかも? 自らをプロデュースする語彙をもった女の子、あるいは若者たち。ちょっと注目です。
- ●02.01.14
- 欠けた歯も削りなおし仮歯をはめての毎日。13日夜は、ミニコミjuicy fruitsの100号記念展覧会のパーティに辛酸なめ子こと池松さんと一緒に参加。池松さんと出かけたのは、多分、私が会場で最年長になりそうなので、その場で浮きそうで心配になり、お誘いしたのである。会場は編集人・大竹さんの友人たちがたくさん集まり、みな殆どが大学生で、学生さんたちのパーティ!という、私にもそんな事があったのかどうかも思い出せないくらい新鮮な雰囲気(たぶんあったのだろうが)。なぜか高校生のかわいい男の子もいて会場で手伝いをしている。男子学生も半数くらいいて、内心「おおー、こんな若い男の子たちがたくさんいる場に同席するのは何年ぶりだよ…」と思ったが、狭い会場であったにもかかわらず、その男子学生たちに話しかけられることもなければ、話かけることもなく、手料理をつまみ酒をのむ私。池松さんも大竹さんも中学・高校の後輩にあたるため、後輩たちもたくさんいたのだが、話してみると、運動会のことでも先生のことでも、すごく内容が変わっていたり私の記憶がなくなっていたりで、違いを感じるどころか、何か接点のない頼りなさを感じ、こういうのが年を感じるというものか…とひとりしみじみ。途中、後輩の佐藤さんが「話せない人をみると世話をやきたくなるんですよ」などといいながら男子学生一人と我々を紹介しあうように促してくれたが自己紹介のみに終わり、後輩にそんな心配をさせてる私って…ダメだ…と寂しく思う。というわけで、私や池松さんは厨房でかいがいしく働く高校生の男の子に注目し、彼がつくる料理などを見て感心したり、「手料理だよ〜」などと頬をゆるませながら料理を食べる私の姿を撮影したりされたりという、本当にささやかな喜びに酔いしれつつ、その男の子にもせっかく声をかけられたものの、それがいきなり「何歳ですか」だったために出鼻をくじかれ、会場を後にしたのであった。みんなにも年をきかれ、答えると「ちっとも見えませんよ」と言ってもらえるが、そんなの全然嬉しくない。こんなんでは氷川きよしに熱い視線を送るおばさんと変わりない、まったくいけてない状態である。って私は何しに行ったんでしょうか? でも久々の若人の集いに参加できてリフレッシュ。
- ●02.01.11
- 昨日は、役所でいろいろな年金やら何やらの支払い手続きをしたり、さらには年末の片づけでよけておいた古くなった熊手やお札を帝釈天の専門のお払いコーナーに置きに行ったり、秋葉でプリンタの部品を買ったり、問屋で仕入れたりで店に着くともう夕方近く。仕事が進むというより雑用で明け暮れるようである…。
- 今日もその続きか、午前中、通販で注文の入った本を一冊だけ版元に立ち寄りピックアップ、そのままいつものように医者へ行き、腹ごしらえして、また問屋に向かおうとしたのだが、ご飯の中にアクリルのような透明な固まりが入っていてそれを思い切り噛んでしまったら治療済みの歯のかぶせものが割れてとれてしまった。私は歯は弱いのだがとてもよく噛むし堅いものも好きなのでこういうことはときどきある。以前、松沢呉一にもらった、というか、好物なので半ば強引に出させた干し納豆を食べた途端に歯が割れてしまい、松沢も自分のあげたものでそんな目に遭ってしまうバツの悪さと、強引にとっておいての情けない歯欠けといった自業自得を見る気持ちとで、苦々しい表情を浮かべていたものである。と思うと、たまたま、割れるときに限って、人の土産ものであったり、店の食べ物であったりと、なんとも間が悪い。それでも、思い切って、お皿をさげに来た、店員さんに、小声で「ご飯にこれが入っていました」と固まりを見せ「ちょっと歯の治療部分が欠けました」と言うと、店員さんは謝って下がっていった。しかし、店を出るときになって先輩格の店員さんが応対し、食事代はいらないと言うので、歯という高い代償を払いながらもとてもラッキーな気分になった。さらに「歯といっても治療した部分で、本当の歯でないので大丈夫です」と言うと、「それなら治療代を払いますからあとで報告してください」と言われ、ほっとする。自分がお店をやっていると、こういう時、怒る気持ちにはなれずに、逆にどういう対応をするものかなぁ、という気分になってしまう。でも、今回は治療費もちゃんと負担してくれるというので、ぜんぜん悪い気がしない。
- というわけで問屋には寄らずに店に出て今日やることを急いでやって、歯医者に行って山田せつ子さんの公演に行くつもり。とにかく歯が欠けたままでいたくないので、早く歯医者に行きたいのである。歯が欠けたまま、あるいは眼鏡の柄がとれてセロテープでとりあえずつけたままといった、どう見てもモテナイような状態ではいたくない。べつにモテたいわけじゃないけど、老若男女をすべて斟酌した広い意味でのモテ度数でみるとこれは私のモテの最低ラインなのだ。
- 新入荷商品は明日まとめてアップします。すみません。
- ●02.01.09
- フェアのための連絡や荷造り、商品解説作りなどであっという間に一日が終わる。パルコ木下さんがたまたまお店に立ち寄ってくれたので、シルクの摺り師をすることもあるパルコさんに太田蛍一氏のグッズ制作に関する相談などをしてみる。今日は、アウトサイダー系の強力なミニコミが入荷。思わず見て読んでしまう。
- ●02.01.08
- 昨日は更新しようとしたらモデムの調子が悪くてうまくいかなかったが、何度かモデムをリセットしたら回復したようである。同時に腹具合もリセットされつつあるが。
- 今年は色々なことをやってみたいのだが、その中のひとつに、ミニコミをはじめとして自主制作作品を作る人たちの情報を集めて提供できるようになれば、というのがある。何かを作ってみたくても、どうこからどう手をつけてよいのか…という初心者もいれば、よりよい方法を模索中の人もいると思うのだが、個々人ではなかなか集めきれない現実的な情報を集めて提供できればなぁ、と思うのである。もちろんタコシェとしてはそれによって、よい作品が増えれば嬉しいのだが、それだけでなくて、一回こっきりの納品に終わらずに納品〜精算〜返品といった一連の作業を続けてほしいというのもあるし、著作権だとか印税とかいった出版につきもののあるルールをお互い理解したり確認することによって(ミニコミには印税はあんまり関係ないかもしれないけれど、印税というシステムをふまえたうえで、ではどういう場合にギャランティが発生しない依頼が可能であるかとか許されるものか、という考え方もできると思うのである)いろいろなことが可能になると思うし、印刷所とか作業環境とかの情報を交換しあえばすごく助かるような気がするからである。ちょっとずつ着手できればいいと思う。
- ●02.01.07
- 5日(土)は朝から腹や背になんとなく鈍痛を感じつつ、お店に出るのは休みにしたい気分であったが、ちょっとした約束があったので、店に出たもののどこかすぐれず、かろうじてメールの返事を出したり連絡をとるところに電話したり。年末から身のまわりに、風邪が腹にきてみじめな目にあった人たちがいたので、もしや…という不安があったが、嬉しいことに、年末に拾って届けた財布の持ち主がわざわざ店まで訪ねてきてくれて、若いお嬢さんだというのに丁寧に菓子折まで持ってお礼をしてくれた。こうまでされるととてもよいことをした気分になる。朝から何も食べてなかったがちょっとお菓子をつまんで、店員たちとも雑談などしてみたのだが、どこかさえずに早退。帰りに引きずるような足取りでそれでもスーパーでレトルト粥など買ってみたが、近くでモカチョコプリンの試食があって、体調が悪いというのに食い意地の張った私はそれに手を出してしまった。ババロアのような濃厚なモカチョコプリンは少量とはいえ朝からあまり物を受け付けようとしなかった胃に違和感をもたらし、「おや?」という気分になったが、気をとりなおして帰路に。ところが、寒い外から家に帰ったとたんに暖気もあって急に気持ち悪くなり、思いっきり吐いてしまったのである。食い意地がいけなかった…。その後、粥も何も食べる気がしなくなり、翌日も何も食べずに一日中寝るのみ。今日も腹具合を心配しつつ出勤。正月早々…。風邪には気をつけて。
- ●02.01.04
年末に『墨汁一滴』を読んでいたら、20世紀を迎えるにあたり、正岡子規が病床でお見舞い兼お土産にもらった地球儀を眺めながらその地図がどう塗りかえられようか…と思い巡らす部分があった。時代はちょうど日清戦争と日露戦争の間くらいかと思う。小中学生の頃、子規と親交のあった漱石の小説など読みながら、明治という時代を想像もつかないくらい遠くに感じたものだが、自分が30才をすぎると、その約3倍が100年、つまり一世紀ということになり、子規が地球儀を眺めていた昔を自分の年齢でもってはかったり感じることができるようになった。100年前は日本は帝国主義の列強の脅威に晒されていたわけだが、今はまた違う不安や脅威の中に私たちはいる。それでもお正月の空は、排気ガスの少なさと乾燥による水蒸気の少なさとで気持ちよいほどに青い。100年前の空ははたしてどうだったのか? そんなことを思いながら初仕事に向かう。途中、土手っぷちに猫ファミリーを発見。みんなこっちを見て〜と言ったらこっちを向いてくれた。猫たちのお正月である。
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